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北川淑恵

北川淑恵

京都府京都市出身。2019年より着物をドレスにアップサイクルする「季縁 ‐KIEN‐」を主宰し、国内はもちろん海外にも販売。
2021年には京都市の女性起業家賞を受賞。他にも京都の社寺のイベント企画や、青年育成のセミナーなど広く文化事業を行っている。

古い着物に新しい価値を

古い着物に新しい価値を

 柔らかなドレープを描くシルク生地には、鶴や七宝、松や菊といった和の吉祥文様が優美に染められており、金銀の刺しゅうや箔の輝きが華やぎを添えている。どれも豪華で上品なのは、布の出自によるのかもしれない。これらのドレスは、和の礼装である留袖や振り袖をアップサイクルしたものなのだ。手掛けるのは京都の町家にアトリエを構える、オートクチュールファッションハウスの「季縁 ‐KIEN‐」。アンティークやデッドストックの古い着物に、新しい命を吹き込んでいる。
 「3年前に事業を立ち上げたのですが、初めは友禅染の応援のために、新しい生地でドレスを手掛けようとしていたんです」と、代表の北川淑恵は話す。当時彼女はポーセリンアートの教室を開いて多くの生徒を指導しながら、地元京都の文化を支える活動をしていた。そんな時廃業危機にある友禅染工房に相談され、友禅染ドレスを海外で販売する企画を立ち上げたのだ。北川は海外展示会の予約を取るなど手はずを整えたが、友禅染工房が海外進出を断念する事態となり、仕方なく自分で事業を行うことにしたという。アップサイクルに舵を切ったのは、それからすぐのこと。ドレスの素材を求めて訪れた呉服問屋の倉庫で、衝撃的な光景に出合ったのだ。

 「体育館みたいな広い倉庫いっぱいに膨大な量のデッドストックが眠っていたんです。『なんてもったいないのだろう。これはなんとかしなければいけない』と強く思い、方向転換を決意しました」。
 北川は京都生まれの京都育ち。祖父母と一緒に暮らし、幼い頃から和文化に親しんできた。正月には晴れ着、祇園祭には浴衣を着るのが当たり前に育ったため着物には愛着があり、それだけに顧みられない着物の山に胸が痛んだのだ。また、着物に関することだけではなく、北川の感性そのものも暮らしの中で育まれている。
 「祖母は季節を大切にする人で、床の間には四季折々の掛け軸やお花を飾り、衣替えどころか食器も季節に応じて替えていました。京都の町家は建具替えといって夏になると障子からよしずに替えて部屋を涼しげにしますので、私も手伝っていましたね」。
 ブランド名「季縁 ‐KIEN‐」の由来もそこから。着物を通して世界中のご縁で結ばれた方達に四季に寄り添う日本文化を伝えていきたいという思いが込められている。

守るべき技、守るべき文化

守るべき技、守るべき文化

 北川によれば、着物は単に装うのが楽しいだけではなく見る人に「思い」を伝えられる衣装でもあるという。
 「例えば常夏の外国に雪が描かれた着物で訪問すれば、現地の人々に雪を知ってもらうことができるんです。吉祥文様にも、幸福や長寿への願いが込められています。着物の一番の価値は形ではなく、美しいテキスタイルとそこに宿る精神性。それが生かせるのであれば、形にはこだわらなくてよいと思っています」。
 だからこそ北川は着物を着物のままではなく、現代の暮らしにマッチするドレスに生まれ変わらせる。
 仕入れ先のフロアに積まれたデッドストックも、その一枚一枚に素晴らしい文様が描かれており、それぞれが貴重な品だ。需要を超えた過剰な生産は、洋服だけでなく着物の世界でも同じであり、最近はコロナの影響による廃業や倒産も多く在庫は増える一方だという。
 北川によれば、顧客とデッドストックの山を歩き回り、ドレスに向いた着物を見つけ出すこともあるという。布の品質も重要な要素で「1980年代以降になると海外生産のものが増えてきます。実はそれより古いもののほうが純粋な日本製で質が良いんですよ」と教えてくれた。
 こうして手に入れたデッドストックやお客さまから持ち込まれた着物は、まず「洗い張り」に出される。そもそも着物は合理的な衣料で、反物幅のままで仕立てられている。それは逆に言えば、縫製の糸をほどきカットした部分を縫いつなぐと、もとの反物に戻るということだ。昔から着古した着物は反物に戻して洗い、糊をかけてまた仕立て直して着られてきた。
 京都市内にはまだそんな昔ながらの「洗い張り」をする工房が、わずかだが残っている。北川がお世話になっている紀平張もそのうちの一軒だ。店主の紀平昌基は「うちはいわば、平安時代のクリーニング屋さんですわ」と話す。洛中洛外図の中にも洗い張りをしている職人の姿が描かれているそうで、現在も僧衣や能衣装などは昔ながらの手仕事ではけを使って糊付けされるという。「季縁 ‐KIEN‐」が使用する友禅の場合は、おけで手洗いしたあとピンテンターと呼ばれる機械で引っ張りながら蒸気を当てて仕上げられる。すると反物は、まるで新品のように生まれ変わるのだ。

大切なのは、育てること

大切なのは、育てること

 「季縁 ‐KIEN‐」のドレスはすべてオーダー制だ。顧客が持参する着物や購入したデッドストックがドレスの素材となり、アトリエにあるサンプルを参考にしてデザインを決めていく。北川によれば、持ち込まれる着物のほとんどに物語があるという。
 「桜子さんという名前のお客さまが、亡くなられたお母さまの着物を9反ほど持参されたのですが、数着が桜の模様だったのです。中に桜子さんのお宮参りの時に着た着物があったので、それをワンピースにされて、ご自身の娘さんの入学式にお召しになったんですよ」。
 形見の品から母親の人柄と娘への愛情が伝わってくるようだ。若き日の母が自分のために装った着物で我が子の門出を祝う。その日、桜は満開だったろうか。物に宿る思いが「季縁 ‐KIEN‐」のドレスによって受け継がれ、また新しい物語が生まれている。
 そんな「季縁 ‐KIEN‐」のドレスは北川がデザインを手掛けるが、実は服飾の勉強をしたことはないという。
 「もちろん初めから合格点のものが作れていたわけではないんです」という彼女に創作の秘密を問うと、「ただ、すごくゴールの設定が高いのだと思います。そして、到達するまでひたすら努力を続けます」との答えが返ってきた。努力の賜物とも言えるが、そもそも高いゴールをイメージできる鍛えられた「審美眼」が、魅力的なドレスを生み出しているのかもしれない。
 「確かにそれはあるかもしれませんね。祖母に『本物だけを見なさい』と教え込まれて育ってきましたから」。
 北川の活動の根底にある価値観や審美眼、教養もまた、祖母から受け継いだ文化なのだろう。
 だが北川は、「伝統文化」をそのまま残すことには懐疑的だという。時代時代によって世の中は変化するのだから、文化もアップデートが必要だと考えているのだ。だからこそ興味があるのは文化を「守る」のではなく「育てる」ことだと言い、「季縁 ‐KIEN‐」とはまた別に若者達に文化を伝える仕事も手掛けている。
 「着物に見られる豊かな四季の表現や無駄の出ない縫製は、とても日本らしいと思います。災害が多く資源の少ない日本では、古くから自然に寄り添い、自然を恐れ、物を大切にしながら生活してきました。それが着物にも宿っているのです。そうした日本文化の本質の部分を受け継ぎ、育てていきたいですね。今後日本だけではなく世界にとっても役立つことなのではないかと思っています」。